割り切れなかった除算

Twitter(旧X)の一部などで絶え間なく掛け算の順序問題は取り上げられる。

しかしながら割り算の扱いは冷淡である。(ホットであるべきだと思わない)

これについて、初等算数の思い出として長年引っかかっていたエピソードがあるが、ツイッターで書くには微妙に長いので書いみる。

 

私が小学1年生の頃に通っていた公文では、指導とは問題を渡すことだった。良く言えば習うより慣れろがモットーで、算数の時間で具体的に生徒がすることは、

1. 『小学校低学年向け』とくくられた計算ドリルを『こどもの自発性』に基づいて解く。

2. それを出入り口の横の長机に座った数人の採点官へ持っていく。

3. ついでに『自発的な質問』に基づいた指導を受ける。

という感じのはずだ。(はず、というのはあまりに自発的な質問が互いに存在しなかったので、大教室では静寂と鉛筆の音しかなかったからだ。寝ている上級生が目についたので「どうやったら机で寝られるのだろうか。大人になると身につくのだろうか」と憧れたことが印象に残っている)

幼稚園で親の論文をおもちゃに遊び、ガロア理論や方程式論や相対性理論で遊んでいた皆さんには分からないかもしれないが、平均的な小学校一年生には割り算の計算がわからない。知らないからだ。掛け算はギリギリ知っていたが÷なんて記号は習ってなかった。

問題から必死に手がかりを探したものの、並ぶのはA÷B=?形式の羅列だった。仕方ないので、怒られるのを覚悟して他の計算は埋めてから割り算は白紙で採点に持っていくことにした。要約してみると以下のような指導を得た。

「4が11個なら掛け算で

4×11 = 44

だ。44という量を11に割ると

44÷11 = 4

つまり分けるための計算が割り算で、答えを埋めるには4 × □= 44という□に当てはまるような、”掛け算の逆の計算”をすれば求まる」

多少差異はあるだろうが大筋はこんなだったはずだ。「ああ上級生が割り算とか言ってたなあ。これのことなのか」みたいなことを思ったのが印象に残っているから、今思い返した記憶でも説明のあらましは大きくずれていないと思う。

 

さて、新しい知識を得ていざ計算に挑もうとするわけだが、やはりどうにも"÷"という記号がよくわからなかった。

記号の形からして、"×"は"+"を斜めに傾けていて繋がりが見えたのに、突然突き放された感じだった。漢字の部首とかひらがなの成り立ちで意味をとることに慣れていたのだと思う。もう少し後の自分なら分数と関連付けて納得できるが、当時は分数の存在すら知らなかった。

標準的小学一年生とはその程度で九九が出来たら早熟なくらいだし、児童文学やラノベを読むことが出来てもまだまだ書きで苦労している頃である。二回に一回はひらがなの"む"とか"ん"を左右鏡像に書いてしまう脳味噌には、どうしても"÷"の異質さが気持ち悪かった。

しかも、よくよく考えるほど、結局何をすれば「200 ÷ 2」みたいな問題が解けるのか謎だった。悩んでいるうちに最初の数ページの「12 ÷ 4」に自信なく「= 3」と書いた答えすら根拠が薄弱なことに気付き、すわりの悪さ感じてしまった。

 

少し前までは数字は100までしか無いと思っていたような子供だったのだ。ページを進めると2桁の掛け算とか3桁の掛け算と増えていくドリルから、どれだけ大きな数もいずれそれぞれ習うのだとなんとなく決め込んでいた(あるあるだと思う)。そういうわけで、数字の規則の厳しさを知らない自分には、どんな説明も筋が通ってないように思えた。

 

そこで、逆の計算というワードから考えたのが、逆じゃない掛け算の「12×4」を「12+12+12+12」に展開する考え方だ。

ただ"÷"がどう逆になるのかわからない。”負の数”は小説やらゲームやら会話やらで自然に存在だけ知っているので、連想して「12-12-12-12」を計算して、-48の前後をなんとか出したと思う。明らかに今度は掛け算で成り立ってないしパンナコッタ・フーゴだったらキレるところだが(※図1.参照)、数とかよくわからなかったのだ。

図1.  order-preservingに厳しいパンナコッタ・フーゴさん

 

結局それから数週間散発的にぐちゃぐちゃした回答を出してはバツだったりマルだったりして、二年生に上がるのと同時にもうちょっとお受験っぽい塾に移り、疑問は置き去りになった。そのあとすぐ塾か学校の授業で習い「なんだこんなものか」と思った気がする。徐々に染み渡った形の理解のきっかけを思い出すのは難しい。

 

ただ、分数や繰り下がりの概念を習って実際に計算が出来てもなんだか腑に落ちず、借りるとかなんとか他の計算ほど一本調子に簡単になっていると思えなかったこと、つまり筆算で要求されるのも結局は大量の簡単な割り算での整理であり、0や9が並ぶほど脳味噌への信頼を他の四則演算よりハイレベルに要求されていることに引っかかっていたことは覚えている。結局はどれだけ訓練しても、多くの人にとっても割り算はある程度の暗記をベースにした掛け算と引き算、領域チェックの組み合わせだと思う。

実際、論理回路から説明出来る単純な計算機でさえ基本的にはこのような考え方であるわけだし、整数同士の除算については、習う筆算以上に記述が簡単な説明は少ないだろう。

 

自分が理解に苦しんだ概念をリストアップすると大抵の問題が与えられるカテゴリと実態の齟齬にある。そういう意味で、四則演算としてフラットに習うのに割り算だけが特権的にあまりの有無や割り切れる数、九九の知識や引き算の網羅的な演算を内包しているように思えて、「本当の割り算」を隠されているという感覚でつまったという説明もそれらしい。結局は分数の掛け算と区別がないことを知ってからは分数の掛け算で書くようになり、幸いにも通っていた公立校の教師は掛け算順序は答えに影響が存在しないことを積極的に教えるタイプだったのでその後人生において割り算への気持ち悪さは問題にならなかった。(大学入試で多項式の除算やユークリッドの互除法で似たような納得感の無さが立ちはだかって苦しんだ気がする)

 

たぶん、教師には「掛け算のどの部分が逆であり、掛け算の逆が割り算ならばどうやって割り算の逆は掛け算になるのですか?」と尋ねるべきだったのだ。当時の自分が咄嗟にそれを質問出来たら、鋭い回答が教師からひねり出せたのだろうし、もう少し数に関して良いセンスを持てたのだと思う。